研究成果
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大谷翔平投手の「スイーパー」のスパコンによる解明
東京工業大学 青木 尊之,イン イクイ
九州大学 渡辺 勢也
慶應義塾大学 小林 宏充
野球のメジャーリーグ(MLB)球団・エンゼルスに所属する大谷翔平投手の投げる「スイーパー」という変化球が話題になっています。そのボールの変化をスパコンで解明しました。
WBC(WORLD BASEBALL CLASSIC™)の決勝戦で大谷翔平投手が最後の1球で投じたボールでもあり、どうしてあんなに横に曲がるのか、どういうボールの回転をしているのか、自然落下よりも浮き上っているように見える等の疑問に対し、MLBの公式球を3Dスキャンして得たボール形状を元に、スパコン(理化学研究所「富岳」(※1)と名古屋大学情報基盤センターのスーパーコンピュータ「不老」(※2))を使って「スイーパー」の空力解析を行いました。
スイーパーはスライダーという変化球の一種で、基本的にはボールが横に回転しているのでマグヌス効果(※3)により横に曲がります。縦には回転していないので、ボールが浮き上がるような揚力は発生しません。しかし、メジャーリーグ中継のスローモーションを詳しく見ると、ボールは完全な横回転をしていません。下図のように回転軸が鉛直からバッター側に傾いた状態で回転しながらボールが進んで行きます。
大谷翔平投手のスイーパーの典型的な球速137km/hと回転数 2590rpmに対して、
バッター方向への回転軸の傾き角を53度としてスパコンでシミュレーションを行いました。
ボールによる渦発生と後流の状態
ボールが進行方向と垂直な方向に力を受けるのは、ボールの周りの気流の非対称な位置での境界層(※4)の剥離によります。スイーパーの場合、上面は前方の縫い目で層流(※5)から乱流化(※6)し、(乱流になると層流よりも剥離し難くなるため)下流まで行ってから剥離しています。下面では縫い目で層流状態の境界層が剥離して乱流になります。そのため、後流が斜め下向きになり、揚力が発生することが明らかになりました。後流が斜め下向きになると上向きに揚力が発生するのは、翼が揚力を受ける原理(※7)と同じです。
ボールの回転軸がバッター側に傾く角度()に対して、野球の業界では回転効率という用語を使います。回転軸が完全にボールの進行方向と一致するとジャイロ・ボールとなり、ボール軌道は空力による変化を受けなくなります。回転軸がバッター側に傾く角度と回転効率の関係は「回転効率」であり、回転数×回転効率を「有効回転数」と呼びます。
回転軸がバッター側に傾く角度 | 回転効率 |
0.00° | 100 % |
36.83° | 80 % |
45.57° | 70 % |
49.46° | 65 % |
53.13° | 60 % |
56.63° | 55 % |
60.00° | 50 % |
66.42° | 40 % |
72.54° | 30 % |
78.46° | 20 % |
90.00° | 0 % |
球速136.8km/hと回転数2590rpm, 2300rpmのスイーパーに対して、さまざまな角度の回転軸の傾きで(回転効率を変えて)シミュレーションを行い、ボール軌道の縦方向と横方向の変化を調べました。図はスイーパーの縦・横変化量の分布で、中心(0cm,0cm)はボールが空気から力を受けないでバッターのところまで到達したと仮定した(放物線軌道の)位置です。
シミュレーションの結果は、メジャーリーグのStatcast(※8)で公開されている大谷翔平投手のスイーパーの縦・横変化量の分布と一致しています。
回転効率 50%〜65% の場合は横に大きく変化し、縦にも浮き上がる典型的なスイーパーと言えます。
大谷翔平投手のスイーパーの球速136.8km/hと回転数 2590rpmに対して、回転効率 60%(回転軸がバッター側に傾く角度 53°)で計算したボールの軌道を以下に示します。
WBC決勝戦で大谷翔平投手が最後に投球したボール軌道をよく再現することができました。
以上、大谷翔平投手のスイーパーは2600rpmと高速回転であることが前提ですが、回転軸がバッターの方向に50°〜 60°傾いていて(回転効率 50% 〜 65%)、これにより横に大きく変化するとともに縦にも浮き上がることが明らかになりました。
今回、回転軸がバッターの方向に傾くことにより揚力が発生するメカニズムを、スパコンによる流体力学シミュレーションにより初めて明らかにしました。
本研究は革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ (HPCI)課題番号hp220063「ジャイロ回転する野球ボールの空力解析」(課題代表者 青木尊之)として採択された研究に基づいて実施されたものです。計算資源の提供およびサポートに、心より感謝いたします。
「用語説明」
※1 理化学研究所「富岳」
※2 名古屋大学情報基盤センター スーパーコンピュータ「不老」
※3 マグヌス効果
回転する球体が移動すると、周りの気流から移動する方向と垂直方向に力を受けます。回転する球(円)の表面に乗って一緒に動くと、上面では流れと同じ方向に回転するので流れを遅く感じ、逆に下面は流れに対向するので速く感じます。このことにより、境界層は剥離する位置が図のように移動し、後流は右斜め下を向きます。球の上面の流れは速く、下面は遅くなり、圧力差が生じて揚力が発生します。カーブが曲がる原理であり、バックスピンしているストレートは揚力を受けて自然落下よりもホップします。
※4 境界層
ボール表面にできる、速度が遅く薄い空気の層。空気や水といった流体には粘っこさ(粘性)があり、ボールの周りの空気はボール表面にくっつきながら流れるので、ボール表面近くには、表面から離れたところに比べて速度が遅く薄い層ができます。
※5 層流
流体が層状で互いに混ざり合わない流れ。流速の影響(慣性)よりも粘っこさ(粘性)の影響が大きく、乱れが抑えられ規則正しい流れとなります。ゆっくりとしたパイプ内の流れにインクを落とすと真直ぐの線となります。
※6 乱流
流体が混ざり合う大量の渦を含んだ不規則な流れで、粘っこさ(粘性)よりも流速の影響(慣性)の影響が大きく、速いパイプ内の流れにインクを落とすと不規則に曲がりくねった線となります。
※7 翼が揚力を受ける原理
翼(物体)の周りの気流は翼に沿って流れようとする性質があります。翼の上面に沿って流れる気流は流線が長くなり、下面に沿って流れる気流は短くなります。それにより上面の方が下面より圧力が下がり、揚力が発生します。翼を通り過ぎた流れは右斜め下を向きます。
※8 Statcast
MLBで導入されているデータ解析ツールで、フォークアイなどの光学式トラッキングシステムを基に選手やボールの動きを高速・高精度に分析し、Baseball Savant(https://baseballsavant.mlb.com/)などのウェブサイトなどで公開しています。